地域から平和を考えるー宮前の戦争遺構を訪ねて

10月27日、地域にある戦争の遺構をめぐるツアーに参加しました。高津区・宮前区の丘陵地は、陸軍が強制的に農地を買収し、1942年に東部62部隊が移転して溝の口演習場が設置され、多くの戦争遺構が残っています。川崎市立中学校の社会科の先生で、長年この遺跡の調査、研究をなさっている大泉雄彦先生と梶が谷駅からバスに乗ってスタートしました。高津区向ヶ丘のしばられ松で下車、ここには聖神社があり、軍票(陸軍軍用地境界票)が移設されていました。敷地内には戦争で亡くなられた地元の方の慰霊碑が立っていました。その中には1945年9月6日に死亡と刻まれている方もいて、終戦後、戦争でのけがや病気で死亡したということも考えられるけれど、終戦は8月15日ではなくポツダム宣言受諾後の降伏文書が調印された9月2日とする国も多くあるという話を聞きました。

そこから、神木本町の王禅寺道を歩きました。十三防塚の道標〔文化12年(1815年)建立と記されていました〕には、「西王ぜんじ道」「北ふちう道」と記されていました。二十三夜供養塔(五穀豊穣や子孫繁栄を守る月待の行事の記念の塔)もありました。江戸時代のだるま市の時には、この街道に出店が出たという話も聞け、興味深かったです。しかしこの道に多くあった「軍票」は、今は開発などによりなくなっています。

平では、都市農業を営んでいる小泉さんに出会い、立派な廠舎の建物を戦後移築し利用したことなど話を伺うことができました。

最後に訪ねた土橋の鷺沼北公園は、宮前区で一番の標高で見晴らしがとてもよく、敵の動きを偵察するために、ここに土橋探照灯陣地を設けたことがよく分かります。

敗戦前に、部隊の資料は焼却されましたが、関係者を探し出し話を聞き、遺跡を手掛かりに調査が行われています。時が経つにつれ関係者は亡くなり、開発により遺跡もなくなっていきます。しかし、この地で穏やかな日常がなくなり、悲惨な戦争があったことを、記録に残し語り継いでいかねばなりません。二度と戦争を起こさないために、地域から平和な社会を作る活動を続けていきます。